大将軍神は、平安期における陰陽道信仰の内でも重要な方忌に関与する神として史料に登場する。
これらは、予測が可能な天体の運行と人の運命との関係を知ることで
災厄を未然に防ごうとする予知に関わるものである。
大将軍神は主に造営、修理及び入内、行幸に影響を及ぼし
藤原氏にとっては細心の注意が払われていた。
『暦林問答集』という方位、暦に関する書に「大将軍とは『新撰陰陽書』によると太白の精なり。
3年ごとに四方を巡り12年で元の位置に戻る」という。これらの書は江戸時代になって広く 庶民に広まっていったと思われる。
又、『山城名勝誌』によると平安京の四隅に 奉祀されたとある。
しかし大将軍社は平安京古地図に当てはめるならば大内裏の西北角にのみ 存在する。
陰陽道は中国に端を発し、陰陽書『宅経』によると 「北西を天門として大将軍を祀る」とある
。
すなわち平安京造営に際して、唐の長安を手本とし天門に大将軍を祀る事で、
四方のすべてを守護し国土擁護等を誓願するものである。と考えられる。
又、祭神の暦神八将神とは暦の吉凶を司る星神であり、太歳神
大将軍、大陰神、歳刑神、歳殺神、歳破神、黄幡神、豹尾神をいう。
当社には、平安時代中期から末期にかけて奉製されたと思われる「神像」が所蔵されていて、
この内、武装像・束帯像・童子像合わせて80体が
重要文化財に指定されている。
又、古天文暦道資料(府指定文化財)も蔵されている。
「大将軍八神社社史」より抜粋
拝観・・・5/1-5/5・ 11/1-11/5 ・10:00-16:00
一般500円/大・高・中300円/小学生以下は無料/
その他の日は要問合わせ (12/31-1/7は予約不可)